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残酷!音楽怪獣プログレ

しがないプログレ好きで、よく中古盤を漁っています。ときどきライブなんぞにも行っておりやす。

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ウイッシュボーン・アッシュ「ナンバー・ザ・ブレイブ」


81年作。U.Kはプログ・ポップとしての内容の秀逸さの割りには、ニューウェーブ全盛時の英国では全くウケず、商業的な面では惨敗となり解散となる。(但し、欧州や日本では人気があったが・・)再び失職の憂き目を見たジョン・ウエットン、再度ヒープの時と同じパターンでハード・ロック・バンドのウイッシュボーン・アッシュに再就職となる。折しもバンドの中心人物の一人、マーティン・ターナー(Vo,b)脱退後の、後任としての起用。当然リード・ヴォーカルを担当するものと期待して入社したのだろう。ところがどっこい、ここでアンディ・パウエル(g,Vo)が代打のリード・ヴォーカリストとして台頭、しかもこれが甘い声質で割りと良く、ウエットン先生は雇われベーシストとしての地位に甘んじる事となる。入社時と仕事内容が違うなんてのも、よくある話しですねぇ。先生の歌声は作曲も兼ねた『ザッツ・ザッツ』1曲のみ。これが「俺がここにいちゃいけないんだろう、出て行かせてくれ~」と云う歌詞。当然の事ながら歌詞通りウエットンはこれ1枚で脱退となるが、わざわざこんな曲をアルバムに入れるバンドも度量が広いんだか狭いんだか(笑)。先生、この後は英語の通じない仏プログ・バンドのアトール(!)にやけくそ加入するが、やがてエイジアへと駒を進めていく事になるのであります。ウエットン先生苦難の一席。
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ジョン・ウエットン&ケン・ヘンズレー「ワン・ウェイ・オア・アナザー」


02年発表。クラシック・ロック・レジェンド社の招聘で、ウエットン先生25年振り位に元ユーライア・ヒープのケン・ヘンズレー(Key,g,Vo)とのジョイント・ライブを敢行する。ライブの前半はウエットンのナンバー、後半はヘンズレー・サイドでユーライア・ヒープのナンバー。ライブ盤は2枚に分けられこちらがウエットンのナンバー、もう一枚は色違いジャケで『モア・ザン・コンカーズ』として発売。先生がユーライア・ヒープの曲を再演するのは珍しく、その意味ではもう一枚の方がレア盤かも。それでもこちらは『ハイ・アンド・マイティ』の初共演の想い出の一作?『ワン・ウェイ・オア・アナザー』で幕を開けるサービス精神。バンド・メンバーは当時のウエットン・バンドであり、形としてはヘンズレーが客演しているのが正直なところだが、現在形のU.Kでもジョブソンを立てて演奏している先生のこと、この公演でも当時低迷していたヘンズレーをきちんと2枚看板にしており、律儀な性格が垣間見える。好ライブ盤。

ユーライア・ヒープ「ハイ・アンド・マイティ」


76年作。ヒープのウエットン先生参加の2作目。プログ・バンドの小難しさに懲り懲りし、ハード・ロック・バンドに再就職した先生も、せっかく入社したヒープが 実は超ブラック企業だとは夢にも思わなかった。就職関係ではよくある話ですなぁ。当時のヒープはドラッグ&アルコール禍でバンド間の人間関係はメタメタ、マネージメントやレコード会社も見放し始めているクロース・トゥ・ジ・エッジな状況。特にデヴィッド・バイロン(Vo)の荒れ方は酷く、これではいかんとケン・ヘンズレー(Key)先生とウエットン先生主導で作られたのがこのアルバム。キーボーディストとのコラボの相性の良さはここから始まっているらしい。先生も『ワン・ウェイ・オア・アナザー』でリード・ヴォーカルを披露、他3曲を作曲している。が、ファンの指摘通りヘンズレーの曲中心なのがアルバムを単調にしているのも事実、更に色々あってデヴィッド・バイロン共々ウエットン先生も退団。ロキシー・ミュージックで知り合いだったエディ・ジョブソンと共にU.Kを起動させるのでありました。

ユーライア・ヒープ「幻想への回帰」


75年作。フリップ社長の鬱病によりいきなり倒産した㈱キング・クリムゾン、メンバーはそれぞれ新たに食い扶持を稼がなければ行けなくなる大惨事。ミュージシャンには雇用保険も無いから色々大変。我らがウエットン先生、バイトでよく出入りしていたロキシー・ミュージックとたまたまベーシストがドラッグで解雇となったユーライア・ヒープの2社で面接、両社から色良い返事を貰うが、「数学みたいな難しい音楽を演奏したくなくて」ヒープの方に行く事となる。(この辺、資格を活かしてプログ系のナショナル・ヘルスやジェネシスを回るブルーフォードとは好対照)参加第一作のこのアルバムはウェットン効果でポップな楽曲が並び、内容も良い名盤、とされているが現行CDに含まれるデモ曲のベースはほぼ前任者のゲイリー・セイン(b)、ウエットンは作曲には参加しておらず、純粋にベーシストとしての参加と思われる。それでもヒープ的には名盤なのでお奨め盤?

クアンゴ「ライブ・イン・ザ・フッド」


00年発表。CDの発売時期は前後するが、ウエットン先生の黒歴史第2弾。エイジア復活ポシャリ事件の穴埋めライブ、海外では日本公演とは異なり暇だったカール・パーマー(ds)も参加、エイジアではなく別バンドの「クアンゴ」ですよ、と言い張りエイジア名義で売ったチケットの尻拭いでライブのハコを埋めて行く事となる。80年代エイジアとは選曲が異なり、パーマー効果でEL&Pの曲も複数演奏、『ビッチズ・クリスタル』『ホウダウン』、後の00年代再結成エイジアで定番となる『庶民のファンファーレ』はこれがウエットン先生バージョン、初演となる。他は『ヒート・オブ・ザ・モーメント』等エイジア・クラシックだが、ここまでやるならいっその事キーボードもエマーソン呼んでEW&Pでやっちゃえば良いのに。それでもまぁまぁの手応えでこのメンバーでスタジオ盤を出すよ、とかウエットン先生言っておったのですが、何があったのかこの後パーマーと大喧嘩。「あんな自分勝手な人間は見たことがない(あの大人しいパーマーが?)」と暴言を吐いてあえなくクアンゴはライブ盤一枚で幕を閉じたのでありました。

ジョン・ウエットン「ライブ・アット・サンプラザ・トーキョー1999」


01年発表。去る99年、突然『エイジア』のジャパン・ツアーが発表された。メンバーはウエットンにパーマー、当時のウエットン・バンドのデイブ・キルミンスター(g)とジョン・ヤング(Key)。当然ハウは不参加、また当時はダウンズ主導のエイジアFJPも活動中であり、この両者からのクレームによりツアーはチケットも発売されていたのが急遽中止。この辺、きな臭い事情もありそうなのだが、既にチケットが売られていた厚木基地と中野サンプラザの2公演は(払い戻し有りで)ジョン・ウエットン・バンドでの来日となる。その中野公演のオフィシャル・ブートレグ、2枚組がこれ。と云うより、流通していたオーディエンス録音のブートレグを悪名高いボイスプリント社が「まんま」商品化したもの。音質劣悪、明らかにウエットン先生の黒歴史。最も当時の先生はアル中一歩手前で体型がバットマンのペンギンの様になっており、酒焼けで高音が伸びず腹が邪魔でベースが弾けない体たらく、この時期にエイジア復活が無かったのはある意味ラッキーだったかもね。

ジョン・ウエットン「スタジオ・レコーディングス・アンソロジーⅠ」


15年発表。かねてから噂の、ウエットンのソロ・アルバムのベスト盤、2枚組。80年の『コート・イン・ザ・クロスファイア』から、11年の『レイズド・イン・キャプティビティ』までのスタジオ盤6枚からの選曲。エイジア等のバンド名義や、ウエットン/ダウンズやフィル・マンザネラ、R.P.ジェイムズ等の共作盤は含まれていない。また、ありがちなレア・テイク、デモ・バージョン等も含まれず、そう言った意味では純粋なスタジオ・アルバムのベスト盤。ファンならご存知の様にウエットンの楽曲は時代によっても全くブレがなく、これだけ長期間に渡ってのベストでも違和感なく2枚のCDに収まってしまうのが怖ろしい(笑)。後はバック・バンドの面子の違いによる方向性の差異、位だろうか。スタジオ・ミュージシャンを贅沢に使った2nd、当時のツアーのバック・バンド、イット・バイツやマリリオンのメンバーが支える3rd~4th、ダウンズの客演が光る5th、ビリー・シャーウッド色の強い6thなど、オリジナル盤もそれぞれの個性が光り、改めてポップ・プログの巨人であるのだなぁ、と云う事実が如実に判るアンソロジー作品。マスト・バイですな。

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